kar pe kuru– 創り手の街 阿寒湖温泉 –
阿寒湖温泉のアイヌコタンに暮らし、
アイヌ文化を受け継ぎながら新たな作品を生み出す新進気鋭の創り手を紹介します。
36世帯約120名あまりのアイヌの人々が暮らす阿寒湖温泉は、
アイヌ工芸の巨匠が何人も生まれ育っていることでも知られています。
大自然とともにある暮らしの中でアイヌ文化、工芸が受け継がれる街。
すぐれたものづくりが生まれ続けるこの小さな街の不思議な魅力を、
阿寒湖畔に暮らす新進気鋭の創り手“kar pe kuru”を通して描きます。
阿寒湖温泉のアイヌコタンという坂道を囲んだ街を歩けば、目に飛び込んでくる木彫やアイヌ文様の数々。ここにはアイヌ工芸が豊かに息づいている。
観光地だけあって、そこかしこの土産店にはアイヌ民芸品が並び、アイヌシアターイコロではアイヌ古式舞踊が毎日上演されている。しかしここは、観光だけの街ではない。アイヌコタン自体が、アイヌの人々が住む集落であり、生活の場である。代々受け継がれてきたアイヌ文化というものは、実に奥が深い。シアターで上演される演目だけに限らず、伝承されてきた歌や踊りは数多く、また木彫や刺繍もお土産のためだけではなく、本来は暮らしの中に継承されたものだ。カムイノミという神への祈りをささげる儀式も、集落の共同の儀式として行われ、またアイヌ独特の食材を使った料理も食卓に上る。
アイヌ文化は衣・食・芸能と実に多岐にわたり、その一つ一つに触れると、ここは北海道なのにまるで異文化世界に紛れ込んだような感覚にもなる。しかしそこで暮らすアイヌの人たちにしてみれば、当たり前の日常が流れているに過ぎない。
歴史的に阿寒湖は高名なアーティストを輩出している。床ヌブリ、藤戸竹喜、瀧口政満という木彫の巨匠が軒を並べていたことも、この土地の不思議を物語る。かの砂澤ビッキもこの地で研鑽を積んだそう。日本の国立公園の中でも歴史ある阿寒摩周国立公園(昭和9年指定)の中に位置し、野生動物たちが生き生きと暮らす森と湖の小さな集落にもかかわらず、これだけの工芸アーティストが頻出しているというのは、驚くべきことだろう。しかし小さな街だからこそ巨匠たちと身近に育ち、彼らの遊び心を受け継いだ新進気鋭のアーティストたちが幾人も育ってきていることも偶然ではない。またアイヌの中でも阿寒湖アイヌは、積極的に外部と交流し、新しいものを取り入れる気風があるという。個性的な才能が生まれやすい土壌なのかもしれない。
ここでは、そんな新しい世代の工芸作家たちを紹介することを通じて、阿寒湖の奥深さにもう一歩、踏み込んでみよう。